岡本宗憲 (OKAMOTO Munenori)
岡本 宗憲(おかもと むねのり、天文 (元号)13年(1544年)? - 慶長5年9月16日 (旧暦)(1600年10月22日))は、安土桃山時代の武将・大名。
岡本定季の次男。
通称平吉郎、のちに太郎右衛門尉。
良勝、重政ともいう。
宗憲で知られているが、良勝が正しいと思われる。
従五位下、下野守。
最初は織田信長に仕えた。
信長の三男織田信孝が誕生したのは、宗憲の屋敷とされる。
その後、織田信孝を補佐する重臣となり、豊臣秀吉に信孝の母娘と一緒に宗憲の母が磔にされる憂き目にあった。
のちに信孝を見限って秀吉に仕える。
九州征伐、小田原の役に従軍。
天正18年(1590年)亀山22000石を賜る。
城が荒廃していた為、その東南の丘に新しく亀山城 (伊勢国)を築城した。
朝鮮の役では、兵500を率いて船奉行を担当する。
関ヶ原の戦いでは西軍に属し、居城の亀山城を守るが、本戦で西軍が破れ、山岡景友の説得に応じて降伏して城を明け渡した。
のちに切腹を命ぜられ、桑名で自刃した。
嫡男の主税助重義も亀山城を出ているが、近江水口で自刃した。