岩倉具慶 (IWAKURA Tomoyasu)

岩倉 具慶(いわくら ともやす、文化 (元号)4年2月4日 (旧暦)(1807年3月12日) - 明治6年(1873年)2月13日)は、江戸時代後期の公卿、明治時代の政府高官。
明治維新の功臣岩倉具視の養父にあたる人物。

大原重成の子として生まれる。
公卿岩倉具集(正二位権大納言)の子・岩倉具満、養子の岩倉具賢がともに早世したため、具集の養子となり岩倉家を継いだ。
文政3年(1820年)に元服とともに叙爵。
以降累進して嘉永3年(1850年)従三位左近衛中将となり、公卿に列する。
安政元年(1854年)には正三位に進んだが、安政5年(1858年)の安政の大獄の廷臣八十八卿列参事件で養子の岩倉具視や孫の岩倉具綱とともに連座した。
明治元年(1868年)に参議に任じられ、新政府でも右兵衛督行政官補相職や大総督府副総裁兼議定職などを歴任して活躍した。

子は女子(日向国飫肥藩主伊東祐帰室)が一人だけであったため、堀河康親(従二位権中納言)の子岩倉具視を天保9年(1838年)に養子に迎えた。

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