岩倉具詮 (IWAKURA Tomoaki)
岩倉 具詮(いわくら ともあき、寛永7年10月27日 (旧暦)(1630年12月1日)- 延宝8年4月16日 (旧暦)(1680年5月14日))は、江戸時代前期の公卿。
村上源氏久我家の分家の岩倉家第3代当主。
おもに後光明天皇(110代)から東山天皇(113代)の3代にわたって仕え、従二位参議まで昇った。
権中納言岩倉具起の子。
母は右近衛少将小倉季藤の娘。
はじめ具家と名乗った。
寛永9年(1632年)に叙爵。
寛永16年(1639年)に元服。
その後、侍従・右近衛少将・右近衛中将を経て万治2年(1659年)に従三位となり、公卿に列する。
寛文5年(1665年)正三位に昇進したのを機に具詮と改名。
寛文6年(1666年)に参議となるも翌年には辞職し、延宝5年(1677年)には従二位となった。
従兄弟千種有維の子(岩倉乗具)を養子に迎えて家督を譲った。
明治維新の功臣岩倉具視は子孫にあたる。