岩倉広雅 (IWAKURA Hiromasa)

岩倉広雅(いわくら ひろまさ、延享3年(1746年)‐明和6年10月3日 (旧暦)(1769年10月31日)は、江戸時代中期の廷臣。
父は植松賞雅。
養父は岩倉尚具。
養子に岩倉具選(柳原家から)。

兄にあたる岩倉尚具から家督を譲られて岩倉家の当主となる。
桃園天皇時代の朝廷に勤仕し、従四位下・治部大輔まで昇ったが、明和6年(1769年)に薨去。
享年24。

柳原光綱の子岩倉具選が養子となり、岩倉家の名跡を継いだ。

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