島津忠宗 (SHIMAZU Tadamune)
島津 忠宗(しまづ ただむね、1251年(建長3年) - 1325年12月17日(正中 (元号)2年11月12日 (旧暦)))は鎌倉時代中・末期の武将。
島津氏の第4代当主。
父は第3代当主・島津久経。
母は相馬胤綱の娘。
官位は下野守。
上総介。
元寇時は九州にて父と共に活躍して武功を挙げた。
1284年、父の死により家督を継ぐ。
1317年、日向国高知尾庄や肥前国松浦庄などの地頭に任じられた。
そしてこれらの所領を嫡男の島津貞久をはじめとする多くの息子たちに与えている。
これにより、北郷氏や樺山氏、新納氏などの諸氏が成立した。
1325年11月12日、75歳で死去し、後を子の貞久が継いだ。
墓所は鹿児島(現鹿児島市)本立寺跡や出水郡(現出水市)野田町感応寺 (出水市)跡。