川上忠智 (KAWAKAMI Tadatomo)

川上 忠智(かわかみ ただとも、生年不詳 - 慶長12年(1607年))は戦国時代 (日本)・安土桃山時代の武将。
島津氏家臣。
左京亮のち三河守。
川上忠興の男。
子は川上忠堅、川上忠兄、川上久智。

島津義弘の家老を務め、「日向国・高鍋町」、「大隅国・栗野」、「薩摩国・馬越」、「大隅・蒲生」などの地頭職を務めた。

元亀3年(1572年)5月4日、木崎原の戦いでは島津義弘の正室と嫡子の鶴寿丸の住まう加久藤城の城代を務めており、遠矢良賢が率いる飯野城からの援軍らと共に伊東氏の軍勢を撃退せしめた。

天正6年(1578年)伊東氏の高鍋城城主・落合兼朝が島津家に寝返ると、忠智は財部城主に任命される。

天正8年(1580年)、新納忠元、鎌田政年らと共に肥後国・阿蘇氏領の矢崎城(熊本県宇土郡)城主・中村惟冬を攻めこれを討ち滅ぼす。

天正12年(1584年)3月24日、沖田畷の戦いにおいて肥前国の龍造寺氏と戦いその本隊を襲撃、嫡子・川上忠堅が大将の龍造寺隆信を討ち取る大功を挙げている。

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