川本幸民 (KAWAMOTO Komin)

川本 幸民(かわもと こうみん、文化 (元号)7年(1810年) - 明治4年6月1日 (旧暦)(1871年7月18日))は、幕末・明治維新期の蘭学者。
名は裕(ゆたか)、号は裕軒(ゆうけん)。
三田藩侍医の川本周安の息子。

当時の三田藩藩主九鬼隆国に命ぜられ1829年(文政12年)江戸に留学し、足立長雋、坪井信道らに蘭学を学び、物理・化学に精通。
1833年(天保4年)三田市に帰郷し、父と同じ藩医に任じられた。
薩摩藩藩主島津斉彬に見い出され、薩摩藩籍となる。
1859年に薩摩藩校学頭、蕃書調所教授となる。
多くの科学の著訳書があり、日本の科学の発展に貢献した。
白砂糖、マッチ、銀板写真なども試作していた。

また、1853年(嘉永6年)頃、日本で初めてビールを試醸し、浅草の曹源寺で試飲会を開催。

キリンビールのビール5000年の旅探究プロジェクトの一環としてそのことが取り上げられ、広告などに使われた。

1868年(明治元年)、三田市に帰郷し英蘭塾を開校。
分校が出来るほど盛況となったが、その後息子の清二郎が太政官出仕となり共に再び上京。
1871年(明治4年)6月1日没。
享年62。

1953年(昭和28年)、三田市三田小学校正門前に顕彰碑が建てられた。

主な著書

気海観瀾広義(1851年−) 日本初の物理書「気海観瀾」(林宗著)を分かりやすくし、増強。
全五巻。

遠西奇器瀾(1854年) 数々の機械の解説。

化学新書(1860年) ドイツの科学者ユリウス・ステックハルトの「Die Schule der Chemie」オランダ語版を和訳。
当時、使われていた舎密という言葉を、中国で使用されていた「化学」と言う言葉に置き換えて広めることになった。

[English Translation]