巨勢君成 (KOSE no Kiminari)
巨勢 君成(こせ の きみなり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。
本姓は巨勢朝臣(こせのあそみ)。
本拠地は大和国高市郡巨勢郷。
聖武天皇の御世に従五位下へと叙せられ(天平18年4月22日 (旧暦))、その後下野国守に任ぜられた(同20年3月12日 (旧暦))。
同時代の巨勢氏一族には、直系で中納言正三位巨勢邑治の甥である参議従三位巨勢堺麻呂のほか、大納言従二位巨勢奈弖麻呂、中納言従三位巨勢麻呂等がいる。
また、8世紀末に陸奥国鎮守将軍に任ぜられ、その後君成と同じく下野守となった中納言正三位巨勢野足は堺麻呂の直系の孫である。
君成が下野国に任ぜられた時代の下野の遺跡として、下野国府(都賀郡、現・栃木市)から東山道を東へ進んだ先に上神主・茂原官衙遺跡(河内郡、現・宇都宮市、上三川町)や薬師寺 (下野市)(同郡、現・下野市)がある。
この付近には、巨勢臣と同じく武内宿禰を祖とする摂津国系の雀部臣(ささきべのおみ)の部民が比較的古い時期から居住していたという。
上神主・茂原官衙遺跡から出土した瓦片に刻まれた人名のひとつに近隣住民と思しき「雀部某」の文字が見られることや、この後間もなく、この遺跡の近隣に崇神天皇とされる御諸別命を祭祀する雀宮神社(現・宇都宮市)が建立されるなど、当時の下野国が大和朝廷と近しい関係にあったことを推定させるひとつの事象となっている。