巨勢邑治 (KOSE no Oji)
巨勢 邑治(こせ の おおじ、?- 神亀3年6月6日 (旧暦)(724年7月4日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。
祖父は難波朝左大臣大繍巨勢徳多、父は中納言小錦中巨勢黒麻呂。
本姓は巨勢朝臣(こせのあそみ)。
本拠地は大和国高市郡巨勢郷。
文武天皇の御世、従五位下で遣唐使として唐に遣わされ、慶雲4年3月2日 (旧暦)(707年4月12日)に帰国、綿、麻布、鍬、籾を賜る。
同年8月16日 (旧暦)(707年9月20日)に正五位上に昇進し、元明天皇の御世となった和銅元年3月13日 (旧暦)(708年4月12日)に播磨国守に任ぜられる。
その後霊亀元年5月10日 (旧暦)(715年6月19日)に従四位上となり、同年5月22日 (旧暦)(715年7月1日)に右大弁に任ぜられる。
元正天皇の御世となった養老3年1月13日 (旧暦)(719年2月10日)に正四位下に昇進、同年9月8日 (旧暦)(719年10月29日)に摂津国摂官となる。
養老5年3月25日 (旧暦)(721年4月25日)、中納言従三位となり、神亀3年6月6日 (旧暦)(724年7月4日)に没す。