平師盛 (TAIRA no Moromori)

平 師盛(たいら の もろもり、承安 (日本)元年(1171年)? - 寿永3年2月7日 (旧暦)(1184年3月20日))は、平安時代末期の武将。
平重盛の五男(平家物語では末子とある)。
母は正室の藤原経子 (藤原家成の四女)。
官位は従五位下侍従兼備中守。

寿永3年(1184年)、播磨国三草山にて、兄弟の資盛、有盛、忠房とともに源義経軍を迎撃するも、夜襲を受けて敗れる(三草山の戦い)。
師盛以外の兄弟三人は西国に向かって落ち延びたのに対し、師盛は一人南方の一ノ谷の平家本陣に合流した。
続く一ノ谷の戦いにおいて、安田義定の手勢と大輪田泊(神戸市兵庫区)で対戦、14歳で戦死した。
『平家物語』では、主従7人で小船に乗り沖合いに逃れようとしたところを、清衛門公長という平知盛の侍が乗せてほしいと駆け付けて来た。
そこで船を渚に漕ぎ寄せたところ、大の男が鎧のまま馬から飛び乗ったために船が転覆してしまった。
海に投げ出された師盛は畠山重忠の郎党に熊手で引き上げられて討たれたという。

法然の高弟である勢観房源智は、師盛の遺児と伝わる。

[English Translation]