平松時庸 (HIRAMATSU Tokitsune)
平松 時庸(ひらまつ ときつね、慶長4年4月28日 (旧暦)(1599年6月20日) - 承応3年7月12日 (旧暦)(1654年8月24日))は江戸時代初期の公家。
平松家初代当主。
初名「時興」。
官位は従二位権中納言。
父は西洞院家26代当主の西洞院時慶(時庸は次男)。
分家して新家「平松家」を興す。
室は秋月種長の娘(をさい)、日野輝資の娘(或いは日野資勝の娘)。
子に平松時量、溝口宣直の継々室、継々々室。
養女に島津光久継室(陽和院殿、実弟交野時貞の娘)。
養女を島津氏の正室としたことで島津家中との交流が活発になった。
特に、島津氏家臣・禰寝氏との関係は深かった。
元々建部氏を本姓としていた禰寝氏が、後に「小松氏」に改姓し平氏子孫を自称するようになったのは、平松家の示唆・影響による物という指摘がある。
また、平松家は近衛家の門葉とされたため、近衛家とのつながりも深かった。
後に近衛基熙の要請によりその娘・近衛熙子を密かに養女としたのもこの縁による物である。