平瀬作五郎 (HIRASE Sakugoro)

平瀬 作五郎(ひらせ さくごろう、安政3年1月7日 (旧暦)(1856年2月12日) - 大正14年(1925年)1月4日)は、明治・大正期の植物学者。

福井市生まれ。
1875年、図画教員となり、各所を転々。
1888年、東京大学理科大学に雇われ、1890年助手となる。
主として図画を描いていたが、植物学に興味をいだく。
東京大学植物学教室の助手の時代にイチョウの精子を世界ではじめて確認した。

平瀬作五郎によるイチョウの精子の発見は、池野成一郎によるソテツの精子の発見に先立つ1894年1月である。
平瀬は、当時東京帝国大学の植物学教室の画工から助手になってまもなく、寄生虫かと思って当時助教授だった池野成一郎に見せた。
池野は一目見るなり「精子だ」と直感したという。
その後1896年9月9日に「花粉管端より躍然精虫の遊動して活発に転々突進する状況を目撃」し、10月には「イチョウの精虫について」という論文を発表している。
これが世界で初めての裸子植物における精子の発見となり、池野成一郎によるソテツの精子の発見と合わせて、日本人による植物学への最も輝かしい貢献となった。

平瀬作五郎は、その後1年して滋賀県立彦根東高等学校へ転出し、一時は研究も断念、不幸な時期を体験している。
しかし1912年、恩師ともいえる池野成一郎とともに、それぞれイチョウとソテツの精子の発見を高く評価されて、恩賜賞 (日本学士院)を授与されている。
ほとんど学歴のない平瀬が、恩賜賞を授与されるというのは異例のことであった。
もっともはじめは平瀬作五郎の授与は予定されていなかったらしく、「平瀬が貰わないのなら、私も断わる」と池野成一郎がいうので、2人受賞になったという。

平瀬作五郎が精子を発見したイチョウの木は、今でも東京都文京区白山にある小石川植物園の中に、記念の石碑を建てて保存されている。

後半生は、花園中学校・高等学校で教鞭をとった。
京都御室で死去した。

[English Translation]