平知宗 (TAIRA no Tomomune)
平 知宗(たいら の ともむね、寿永3年(1184年) - 建長7年7月5日 (旧暦)(1255年8月8日))は鎌倉時代の平家の落人。
桓武平氏の平知盛の三男。
兄は平知章、平知忠。
子に宗重尚、宗助国がある。
幼名は鬼王丸で、別名は貞重、盛重。
通称は武藤武者、武藤右馬助、惟宗判官。
惟宗 知宗(これむね ともむね)や宗 知宗(そう ともむね)、武藤 知宗(むとう ともむね)とも名乗っている。
寿永3年(1184年)、平家の都落ちで各地を転々としている時期に誕生。
元暦2年(寿永4年/1185年)に壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、長門国斎藤兵庫を経て鎮西奉行武藤資頼と乳母の惟宗氏によって庇護される。
その後、武藤資頼の養子になり、正治2年(1200年)に太宰府に任官する。
建長7年7月5日(1255年8月8日)、太宰府北殿で死去。
享年72。
死去した日については異説あり、建長7年7月3日 (旧暦)(1255年8月6日)とする説もある。