弁内侍 (Ben no Naishi (a maid of honor to the Empress))
弁内侍(べんのないじ生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人。
後深草院弁内侍(ごふかくさいんのべんのないじ)とも呼ばれる。
父は藤原信実で、姉に藻璧門院少将、妹に後深草院少将内侍がいる。
女房三十六歌仙の一人。
後深草上皇が東宮(皇太子)時代であった時から出仕し、1259年(正元元年)の譲位とともに職を退いた。
有名な「弁内侍日記」はその前半期を記したもの。
藤原雅平との間に女子(新陽明門院中納言)をもうけ、1265年(文永2年)妹の死に際して出家した。
1276年(建治2年)に撰集された「現存三十六歌仙詩歌」にその名が見える。
「筑波問答」によれば連歌作者でもあり、「莬玖波集」にも句が採録されている。