後深草院二条 (Gofukakusain (no) Nijo (Lady Nijo))
後深草院二条(ごふかくさいんのにじょう、正嘉2年(1258年) - 没年不詳)は鎌倉時代の女性。
「とはずがたり」の作者とされている。
父は中院大納言源雅忠、母は大納言典侍(四条隆親の娘)、叔母に式乾門院御匣(歌人)がいる。
後深草天皇の女房であり愛人。
後深草院の寵愛を受けながらも「雪の曙」(西園寺実兼とされる)、「有明の月」(仁和寺御室性助入道親王・法助法親王の両説あり)、亀山天皇らとの関係を「とはずがたり」で赤裸々に綴った。
26歳の年、後深草院の中宮である西園寺公子の排斥にあい一旦御所を退くも、その2年後西園寺きつ子(後嵯峨天皇中宮、後深草・亀山両天皇の母)の女房として再び出仕。
その後出家し、修行の旅に出て、東国西国の各地の寺社を詣でる。