徳大寺公全 (TOKUDAIJI Kintomo)
徳大寺 公全(とくだいじ きんとも、延宝6年7月10日 (旧暦)(1678年8月26日) - 享保4年12月2日 (旧暦)(1720年1月11日))は、江戸時代中期の公卿。
主に東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の二帝にわたり仕え、官位は正二位内大臣まで昇った。
父は権大納言醍醐冬基。
母は権大納言藪嗣孝の娘。
養父は内大臣徳大寺実維。
正室は関白近衛家熙の娘、のち継室として対馬藩主宗義真の娘。
子に権大納言徳大寺実憲がいる。
天和 (日本)2年(1682年)に叙爵して以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将などを歴任した。
元禄5年(1692年)に従三位となり公卿に列する。
権中納言・踏歌節会外弁を経て元禄12年(1699年)に権大納言に就任。
元禄13年(1700年)から宝永元年(1704年)にかけては神宮伝奏をつとめ、正徳 (日本)2年(1712年)から享保4年(1719年)にかけては武家伝奏をつとめた。
享保4年(1719年)には内大臣に任じられた。