徳大寺公有 (TOKUDAIJI Kinari)
徳大寺 公有(とくだいじ きんあり、応永29年2月5日 (旧暦)(1422年2月26日) - 文明 (日本)18年1月26日 (旧暦)(1486年3月2日))は、室町時代の公卿。
称光天皇(101代)・後花園天皇(102代)・後土御門天皇(103代)の三帝にわたり仕え、官位は従一位右大臣まで昇る。
号は後野宮。
父は大納言徳大寺実盛。
母は衛門府持明院基親の娘。
子に太政大臣徳大寺実淳、空覚(興福寺別当)。
娘に右大臣三条公敦室、細川教春室、中納言烏丸益光室などがいる。
応永31年(1424年)に叙爵。
近衛府・讃岐国・近衛府・相模国を経て、永享9年(1437年)に参議となり、公卿に列する。
その後、近江国・中納言を経て、文安3年(1446年)には大納言に就任した。
文安5年(1448年)に造営上卿となり、享徳3年(1454年)には近衛府・馬寮に任じられる。
寛正元年(1460年)内大臣拝命、同年左近衛大将を辞し、寛正2年(1461年)には右大臣に任じられた。
寛正5年(1464年)に右大臣を辞す。
文正元年(1466年)従一位に進み、文明4年(1472年)51歳で出家して引退した。