徳大寺公胤 (TOKUDAIJI Kintane)

徳大寺 公胤(とくだいじ きんたね、文明 (日本)19年1月27日 (旧暦)(1487年2月20日) - 大永6年10月12日 (旧暦)(1526年11月16日))は、室町時代の公卿。
後土御門天皇(103代)・後柏原天皇(104代)の二帝にわたり仕え、官位は従一位左大臣まで昇った。
号は後野宮。
父は太政大臣徳大寺実淳。
子に権大納言徳大寺実通がいる。

長享2年(1488年)従五位上に叙される。
以降累進して、侍従・近衛府・讃岐国・近衛府を経て、文亀元年(1501年)に従三位となり、公卿に列する。
その後、参議と中納言を経て、永正11年(1514年)に従二位大納言となる。
翌年に辞す。
永正14年(1517年)再度権大納言となり、右近衛大将・馬寮を兼務。
永正16年(1519年)に近衛府となる。
大永元年(1521年)には左近衛大将を辞し、内大臣に転じる。
大永3年(1523年)には右大臣を経ずして異例の左大臣任命を受けた。
大永6年(1526年)に従一位となるが、この年に病となり、左大臣を辞職した。

[English Translation]