徳大寺実維 (TOKUDAIJI Sanefusa)
徳大寺 実維(とくだいじ さねふさ、寛永13年3月1日 (旧暦)(1636年4月6日) - 天和 (日本)2年9月11日 (旧暦)(1682年10月11日))は、江戸時代前期の公卿。
明正天皇(109代)・後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)の四帝にわたって仕え、官位は正二位内大臣まで進む。
父は左大臣徳大寺公信。
母は長州藩主毛利秀就の養女(岩国藩主吉川広正の娘)。
正室は権大納言藪嗣孝の娘。
子に徳大寺公逸・徳大寺公観、養子に内大臣徳大寺公全がいる。
寛永14年(1637年)に叙爵して以降清華家当主として早いスピードで累進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将を務める。
承応2年(1653年)には従三位となり、公卿に列する。
権中納言を経て、寛文元年(1661年)に権大納言となる。
寛文9年(1669年)には右近衛大将・右馬寮御監となったが、寛文10年(1670年)には辞した。
寛文11年(1671年)に内大臣に就任するも翌年に辞職。