文室宮田麻呂 (FUNYA no Miyatamaro)

文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ、生没年不詳)は、平安時代初期の官人。
文室綿麻呂の弟。
子に文室冬雄・文室海麻呂がいた。

839年(承和6年)に従五位上に叙せられ、840年(承和7年)に筑前守に任じられたが、842年(承和9年)には解任されていた。
この間、新羅の商人張宝高(ちょうほうこう)に絁(あしぎぬ)を贈って唐の物産を得ようとしたが、張の死により失敗した。
843年(承和10年)散位従五位上のとき謀反の罪により伊豆国へ配流となった。
しかしながら、その後無実であることがわかり、863年(貞観5年)に神泉苑の御霊会で慰霊されている。
同じ年、近江国に所有していた家10区、土地15町、水田35町が貞観寺に勅により施入された。

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