文室秋津 (FUNYA no Akitsu)
文室 秋津(ふんや の あきつ、延暦6年(787年)-承和 (日本)13年3月27日 (旧暦)(846年4月30日))は平安時代の将軍で政治家。
天武天皇の子である一品長親王の子である智努王の子である三諸大原の四男。
長兄に文室綿麻呂がいる。
右大弁、左大弁、東宮大夫、左近衛中将、検非違使別当、右衛門督などを歴任した。
『公卿補任』によれば、弘仁元年(810年)に右衛門督、右近衛将監、蔵人、右馬助を経て弘仁8年(817年)に藤原真川の後任として甲斐守となり、翌弘仁9年には武蔵介に転任する。
因幡守、木工頭を経て弘仁13年(822年)に甲斐守に再任するが、天長元年には右兵衛権佐に遷任する。
以後は在京し、天長7年(830年)に正四位下参議となり、東宮大夫などを務めた。
天長9年には武蔵守に再任している。
甲斐守から武蔵介への転身は、弘仁天長期に行われていた御牧整備との関連が指摘されている。
没年に関しては承和10年(843年)3月27日とする説(卒伝を記す『続日本後紀』)もある。
大和国の豪族、秋津氏は彼の末裔と称する。
主な官途
弘仁7年(816年)従五位下。
弘仁8年(817年)甲斐守
天長7年(830年)従四位下参議。
承和 (日本)9年(842年)承和の変で出雲員外守へ左遷。
承和10年(843年)没し、従四位下に復す。