新庄直好 (SHINJO Naoyoshi)
新庄 直好(しんじょう なおよし、1599年(慶長4年)- 1662年9月4日(寛文2年7月22日 (旧暦)))は、江戸時代の大名。
常陸国麻生藩の第3代藩主。
第2代藩主・新庄直定の長男。
母は日野資友の娘。
正室は佐久間安政の娘。
子に新庄直常(長男)、新庄直矩(次男)、娘(新庄直時継室)。
官位は従五位下、越前国守。
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で父と共に徳川方として従軍し、功を挙げた。
元和 (日本)4年(1618年)、父の死により家督を相続し、常陸国麻生藩の第3代藩主となった。
第3代将軍・徳川家光が上洛するときは甲府城を守備している。
承応3年(1653年)に長男・直常が早世した後、62歳という高齢になってようやく次男・直矩が生まれたが、直矩が幼いうちに死去。
このため、家督は従兄弟の直時が継ぎ、実子の直矩は成長してから家督を継ぐこととなった。