朝倉経景 (ASAKURA Tsunekage)
朝倉 経景(あさくら つねかげ、永享10年(1438年)- 延徳3年1月26日 (旧暦)(1491年3月6日))は室町時代の武将である。
父は朝倉家景。
朝倉敏景(英林)の異母弟にあたる。
初名簾勝。
与三右衛門尉、下野守と称する。
子は朝倉景職、足羽郡深岳寺の住持祖心紹越。
長禄合戦や応仁の乱で兄を補佐して戦う。
応仁2年(1468年)閏10月14日、京に甥の朝倉氏景 (8代当主)と配下の兵を残し、朝倉敏景、朝倉光玖、朝倉景冬の兄弟揃って越前国へ下る。
文明 (日本)3年(1471年)、朝倉敏景が東軍に寝返った。
敏景が越前平定に乗り出すとこれに従う。
朝倉敏景没後は朝倉氏景 (8代当主)を補佐し越前統一を実現する。
軍略上の要衝地安居(福井市)を領し、安居城に拠った。
長享3年(1489年)4月以降に入道し退耕斎と号した。
延徳3年(1491年)1月26日没。
享年54。