木内峰太 (KIUCHI Mineta)
木内 峰太(きうち みねた、生没年不詳)は、新選組隊士。
島田魁によれば、近江国の出身。
名の読みはほうたとも。
峯太、岸太とも。
新選組入隊は文久3年7月頃。
元治元年6月5日の池田屋事件では土方歳三の隊(松原忠司、井上源三郎の隊とも)に所属し、屋外の守備を行っていた。
後に十五両の褒賞金を得ている。
同年の12月に行われた編成では伊東甲子太郎の二番組に所属している。
慶応3年6月10日の幕府召抱えでは、平同士として名がある。
しかし、同年12月迄に離隊している。
明治8年には京都で警察官に採用されたという逸話が残っている。