朽木為綱 (KUTSUKI Moritsuna)
朽木 為綱(くつき もりつな)は、丹波国福知山藩の第13代(最後)の藩主。
福知山藩朽木家14代。
弘化2年(1845年)11月5日、第12代藩主・朽木綱張の長男として生まれる。
父の養子だった朽木紘綱が早世したため嫡子となった。
慶応2年(1867年)に父が死去したため、家督を継いで第13代藩主となる。
慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いでは旧江戸幕府軍に協力しようとした。
しかし幕府軍が敗退したため、新政府の西園寺公望率いる軍勢に降伏した。
しかしそのため、上層部の切腹による謝罪や北越出兵、丹波・丹後国などの代官地・天領などの接収を余儀なくされている。
明治2年(1869年)6月、版籍奉還により福知山藩知事に任じられる。
明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で免官となり、9月に東京に移った。
明治5年(1872年)に養子の朽木綱鑑に家督を譲って隠居した。
福知山に戻って士族の救済に務めた。
しかし養子の綱鑑と対立して養子縁組を破棄し、再び家督を継いだ。
その後は富教会を設立して士族の救済を本格的に務めたという。
明治16年(1883年)4月26日に死去。
享年39。
実子に陸軍少将・子爵・貴族院 (日本)議員を務め、火薬の研究者としても有名な朽木綱貞がいる。