松井須磨子 (MATSUI Sumako)

松井 須磨子(まつい すまこ、1886年3月8日 - 1919年1月5日)は、日本の新劇俳優。
本名、小林正子(こばやしまさこ)。

来歴

長野県埴科郡清野村(現・長野市松代町 (長野県)清野)に士族小林藤太(旧松代藩武士)の五女(九人兄妹の末っ子)として生まれる。
数え年6歳の時、上田町の長谷川家の養女となり、1900年上田の尋常小学校を卒業する。
しかし養父が亡くなったため実家に戻る。
実家に戻った年、実父も亡くなった。
数え年17歳の春に上京する。

1903年親戚の世話で最初の結婚をするが、1年で離婚している。
1908年に俳優養成所勤務の前澤誠助と結婚し、1909年、坪内逍遥の文芸協会演劇研究所第1期生となる。
演劇にのめり込む余り家事をおろそかにするようになり、前澤は彼女に愛想を尽かして離婚。

1911年、『人形の家』の主人公ノラを演じて認められ、1913年、島村抱月と芸術座 (劇団)を旗揚げした。
そして、『復活(小説)』(レフ・トルストイ原作、島村訳)のカチューシャ役が大当たりし、人気女優となった。
彼女が歌った主題歌『カチューシャの唄(復活唱歌)』(抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードも当時2万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。
このことから、須磨子は日本初の歌う女優となった。

だが、1917年に発売したレコード『今度生まれたら』(北原白秋作詞)では、歌詞の中にある「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」の部分が当時の文部省により猥褻扱いされ、日本における発禁レコード第1号ともなってしまった。

1918年11月5日、スペインかぜで島村が病死すると、2ヶ月後の1919年1月5日、芸術座の道具部屋において自殺(縊死)した。

島村と不倫関係にあった彼女は、島村の墓に一緒に埋葬されることを望んでいたがそれは叶わず、彼女の墓は長野市松代町清野の小林家墓所(生家の裏山)にある。
また、新宿区弁天町の多聞院には分骨墓がある。

著作

『牡丹刷毛』(1914年)

[English Translation]