松平資承 (MATSUDAIRA Suketsugu)
松平 資承(まつだいら すけつぐ)は、丹後国宮津藩の第3代藩主。
本庄松平家6代。
寛延2年(1749年)10月29日、上総国大多喜藩の第3代藩主・松平正温の三男として江戸で生まれる。
明和2年(1765年)に宮津藩の第2代藩主・松平資尹が死去したため、その養子として家督を継いで第3代藩主となる。
安永5年(1776年)1月に奏者番に任じられ、天明4年(1784年)4月26日に寺社奉行に任じられて天明6年(1786年)11月2日まで務めている。
藩政においては、天明の大飢饉で大被害を受けて米価が異常高騰し、餓死者が多数出て、古記録には「言語に尽し難き困窮の年柄」とある。
寛政7年(1795年)11月17日、家督を次男の宗允に譲って隠居する。
寛政12年(1800年)8月18日に江戸で死去。
享年52。