松平資訓 (MATSUDAIRA Sukekuni)

松平 資訓(まつだいら すけくに)は、江戸時代の大名、京都所司代。
遠江国浜松藩第2代藩主、三河国三河吉田藩初代藩主、再封され浜松藩初代藩主。
本庄松平家3代。

大身旗本・佐野勝由の次男として生まれる。
甥の松平宗弥が早世したため、浜松藩主・松平資俊の養子となり家督を継ぐ。
のち京都所司代を務め、幕政に参与した。

経歴
享保8年(1723年):松平家相続
享保14年(1729年):三河吉田城転封
寛保元年(1741年):奏者番
寛延2年(1749年):京都所司代、遠江浜松城転封
宝暦2年(1752年):卒、享年53

官位位階
正徳 (日本)4年(1714年):従五位下図書頭
享保3年(1718年):豊後守
寛延元年(1748年):従四位下
寛延2年(1749年):侍従

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