松永久通 (MATSUNAGA Hisamichi)

松永 久通(まつなが ひさみち)は、戦国時代 (日本)の大和国の武将。
松永久秀の嫡男。

天文12年(1543年)1月8日、松永久秀の嫡男として生まれる(生年は天文 (元号)7年(1538年)説もある)。

早くから父に従っている。
永禄5年(1562年)、父から家督を譲られて多聞山城主となり、従五位下・右衛門佐に叙位・任官する。
永禄8年(1565年)には三好三人衆と共に室町御所における13代将軍・足利義輝の暗殺の実行犯として参加した。
(父・久秀は参加せず、代わりに久通(当時は義久)が務めている。)

永禄11年(1568年)、織田信長が義輝の弟で15代将軍足利義昭を奉じて上洛してくると、父と共に信長に降伏して大和国を安堵された。
その後は父と共に信長に従ったが、信長包囲網が敷かれるに及んで父と共に信長に対して反逆する。
しかし天正元年(1573年)、多聞山城を織田軍に攻められて降伏した。

天正5年(1577年)10月、再び父・久秀が織田信長に対して謀反を起こしたときもこれに従って信長に反抗した。
父とともに信貴山城で自害した(信貴山城の戦い)。
享年35。

[English Translation]