松浦武四郎 (MATSUURA Takeshiro)

松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文政元年2月6日 (旧暦)(1818年3月12日) - 明治21年(1888年)2月10日)は、江戸時代、幕末から明治時代にかけて活動した日本の探検家。
雅号は「北海道人(ほっかい・どうじん)」。
蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。

経歴
伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)の郷士松浦桂介の四男。
山本亡羊に本草学を学んだ。
早くから諸国をめぐっており、1838年には平戸で僧となり、文桂と名乗った。
1844年に還俗し蝦夷地探検に出発。
その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。
1855年に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。
明治に入った1869年には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほか、アイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。
1870年に開拓使を批判して職を辞してからは余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。

晩年の68歳より、富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。
遺骨は、武四郎が最も好きだったという西大台・ナゴヤ谷に1889年 建てられた「松浦武四郎碑」に分骨されてもいる。

なお、生地の三重県松阪市小野江町には、「松浦武四郎記念館」が建っている。

系図

松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ来たといわれている。

[English Translation]