榊原忠長 (SAKAKIBARA Tadanaga)
榊原 忠長(さかきばら ただなが、天正13年(1585年) - 慶長9年2月15日 (旧暦)(1604年3月15日))は、上野国館林藩初代藩主・榊原康政の次男。
母は大須賀康高の娘。
館林藩嫡子。
兄・大須賀忠政が外祖父の大須賀家を継いだため、榊原家世子となった。
関ヶ原の合戦でも父に従って上田城攻めなどに参戦している。
しかし、家督相続以前の慶長9年(1604年)、父に先立ち20歳の若さで夭折した。
子がなかったため嫡子の座には弟の榊原康勝が就き、父・康政の死後、家督を相続した。