樋口信孝 (HIGUCHI Nobutaka)
樋口 信孝(ひぐち のぶたか、慶長4年12月24日 (旧暦)(1600年2月8日) - 明暦4年7月20日 (旧暦)(1658年8月18日))は、江戸時代初期の公家。
藤原北家高倉流。
水無瀬親具(高倉永家の子で水無瀬兼成の養子)の次男で樋口家祖。
母は中条持胤(北条氏旧臣)の娘。
室は広橋兼勝の娘。
兄弟に堀河康胤(堀河家祖)。
長男は早世し、樋口信康、中条信慶、中条信久(信斎)、梅(徳川家光上臈)、清雲院、勘解由小路(松寿院、徳川光友側室)。
一字名、平。
官位は従二位参議。
承応元年(1652年)に従二位に叙せられ、その後、参議まで昇進した。
明暦4年7月20日、60歳で薨去した。