樋口信康 (HIGUCHI Nobuyasu)
樋口 信康(ひぐち のぶやす、元和 (日本)9年11月10日 (旧暦)(1623年12月31日) - 元禄4年6月21日 (旧暦)(1691年7月16日))は、江戸時代初期の公家。
藤原北家高倉流、樋口家の2代目。
樋口信孝の子。
母は広橋兼勝の娘。
妻は従姉妹の堀河康胤の娘。
兄弟は、中条信慶、中条信久(信斎)、梅(徳川家光上臈)、清雲院、勘解由小路(松寿院、徳川光友側室)。
子は、樋口康勝(3代目)、樋口康資(4代目)、中条康満(伊豆守、尾張徳川家に仕える)、樋口康熈(永康、5代目)、鈴木重長室、松平忠勝室、長(松平図書室)、立(竹腰正信の3男の竹腰正辰室)、葉室頼重室、阿野公緒室(西本願寺養女)。
官位は従二位中納言。
近衛府を経て、貞享元年(1684年)参議となり、貞享4年(1687年)中納言になった。
元禄4年(1691年)6月21日、69歳で薨去。
法号は崇厳院岳誉看山。