橘則光 (TACHIBANA no Norimitsu)
橘 則光(たちばな の のりみつ、康保2年(965年) - 没年未詳)は平安時代中期の官人。
橘氏長者・橘敏政の長男。
弟に橘行平、橘則隆がある。
母は花山天皇乳母の右近尼。
清少納言の夫の一人であり、歌人・光朝法師母の夫でもある。
蔵人、修理亮、左衛門尉をへて能登国守、土佐国守、陸奥国守にいたる。
しかし、都での身分は高くなく(従四位上)、受領であり藤原斉信の家司である。
『江談抄』3、『今昔物語』23の15、『宇治拾遺物語』11では盗賊に襲われてかえって取り押さえた話が伝えられ武勇に優れた人物とされる一方、『枕草子』78・80ではやや気弱な人物として描かれている。
『金葉集』に一首が入れられている(第360歌)。
『後拾遺集』1156の詞書の中にもその名が見られる。