橘広房 (TACHIBANA no Hirofusa)

橘広房(たちばな の ひろふさ、生年不詳 - 天永2年(1111年))は、平安時代後期の官人・歌人。
陸奥国守橘以綱の子。
正五位下、信濃国守、文章得業生、橘氏長者。
子に橘以長、橘広仲、橘以実らがある。
大江広房とも。

橘氏長者であった父以綱の後を受け長者となる。
当初、親族と思われる大江匡房の養子となっていたことから大江氏を称したが、天永2年(1111年)に本姓に復したという(『尊卑分脈』)。
天仁元年(1108年)より信濃守に任じられるが、在任中の天永2年(1111年)、美濃国に向かう途中であった下野国守源明国との間で私闘となり、同じくその場にあった源為義の郎党らと共に明国に殺害された。
歌人として『新勅撰和歌集』に和歌が一首入集している。

この里といはねど志るき谷水の志づくもにほふ菊の下枝 (歌番号・1371)

[English Translation]