橘道貞 (TACHIBANA no Michisada)
橘 道貞(たちばな の みちさだ、生年不詳 - 長和5年4月16日 (旧暦)(1016年5月24日))は、平安時代中期の官僚。
従五位下下総国守橘仲任の子。
藤原道長の側近。
そのため兄とともに「道」の字を与えられたという。
活動
和泉国守、陸奥国守などを歴任した地方官僚でいわゆる受領階級。
藤原道長の覚えもめでたかった。
家族
最初の妻は、和泉式部として後世に名を残した越前国守大江雅致の娘、介内侍と呼ばれていた女性と結婚。
後に離婚し、再婚している。
和泉式部の和泉は道貞の当時の官職、和泉守に由来する。
二人の間には後に小式部内侍と呼ばれる女児があった。
系譜
朝日新聞社発行の「日本歴史人物事典」では、橘広相の孫とされるが、誤伝または誤記。
仲任の父は従五位下下総守橘佐臣で、佐臣の父、従四位下筑前国守橘茂枝と贈従三位中納言橘広相は又従兄弟の関係になる。
最高官位
正四位下陸奥国守