檜皮姫 (Hiwadahime)
檜皮姫(ひわだひめ、寛喜2年(1230年) - 宝治元年(1247年)5月13日 (旧暦))は、鎌倉時代中期の北条氏一門の女性。
北条時氏の娘で、鎌倉幕府5代将軍藤原頼嗣の正室。
檜皮姫の祖父である3代執権北条泰時の死後、19歳の兄北条経時が跡を継いだ。
その後、将軍藤原頼経を中心とした反得宗勢力と執権北条氏との対立が起こる。
経時は将軍頼経を退位させ、頼経の子で6歳の藤原頼嗣を新将軍に立てた。
と、翌年の寛元3年(1245年)7月26日、16歳の妹檜皮姫を7歳の新将軍頼嗣の正室として嫁がせた。
凶日であるとして反対する周囲を押し切っての輿入れだった。
この婚姻成立によって、頼経の正室竹御所の死後に失われた北条氏の将軍家外戚の地位を復活させたのである。
しかし経時は翌年寛元4年(1246年)に死去し、その弟北条時頼が執権職を継いで将軍派との対立が激化した。
檜皮姫は病床に伏し、加持祈祷の甲斐なく宝治元年(1247年)5月13日、18歳で死去した。
宝治合戦の1ヶ月前の事であった。