正親町三条実彦 (OGIMACHISANJO Sanehiko)
正親町三条 実彦(おおぎまちさんじょう さねひこ、元禄16年10月30日 (旧暦)(1703年12月8日) - 享保10年8月28日 (旧暦)(1725年10月4日)は、江戸時代中期の廷臣。
父は権大納言滋野井公澄。
母は権大納言甘露寺方長の娘。
子に権大納言正親町三条公積がいる。
中御門天皇(114代)時代の廷臣で、公卿まであと一歩という正四位下左近衛中将まで昇進したが、23歳の若さで卒去する。
正親町三条 実彦(おおぎまちさんじょう さねひこ、元禄16年10月30日 (旧暦)(1703年12月8日) - 享保10年8月28日 (旧暦)(1725年10月4日)は、江戸時代中期の廷臣。
父は権大納言滋野井公澄。
母は権大納言甘露寺方長の娘。
子に権大納言正親町三条公積がいる。
中御門天皇(114代)時代の廷臣で、公卿まであと一歩という正四位下左近衛中将まで昇進したが、23歳の若さで卒去する。