正親町三条実昭 (OGIMACHISANJO Saneaki)

正親町三条実昭(おおぎまちさんじょう さねあき、寛永元年11月24日 (旧暦)(1625年1月3日)‐寛文8年5月7日 (旧暦)(1668年6月16日))は、江戸時代前期の公卿。
おもに明正天皇(109代)・後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)の三帝にわたり仕えた廷臣で、官位は従三位参議まで昇った。
父は大納言正親町三条実有。
母は不詳。
兄に参議正親町三条公高がいる。
室に近衛府冷泉為景の娘。
子に参議正親町三条公廉、中納言正親町三条実久がいる。
初名は季成(すえなり)。

寛永8年(1631年)叙爵。
刑部省をつとめていたが、慶安2年(1649年)、前年に薨去した兄公高の養子として正親町三条家を継ぐこととなった。
近衛府・近衛府を経て、明暦元年(1655年)従三位参議となり、公卿に列するも同年中に辞職している。
その後寛文8年(1668年)に薨去。
享年45。

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