正親町三条実福 (OGIMACHISANJO Sanetomi)
正親町三条実福(おおぎまちさんじょう さねとみ、天文 (元号)5年(1536年) - 永禄11年1月25日 (旧暦)(1568年2月22日))は、室町時代後期の公卿。
後奈良天皇(105代)・正親町天皇(106代)の二帝にわたり仕えた廷臣で官位は従二位権中納言まで昇った。
父は内大臣正親町三条公兄。
母は加賀介藤原某(富樫氏と言われる)の娘。
子に権中納言正親町三条公仲がいる。
天文9年(1540年)叙爵。
以降累進して、侍従・越前介・右近衛少将・尾張権介を経て、弘治 (日本)3年(1557年)参議となり、公卿に列する。
永禄元年(1558年)に甲斐国へ下向したが、翌年には帰京。
永禄5年(1562年)に権中納言に任じられる。
永禄8年(1565年)には駿河国へ下向。
その翌年には帰京したが、永禄10年(1567年)には正親町天皇の勅勘を被り、蟄居を命じられた。
その翌年に薨去。
享年33。