正親町三条実義 (OGIMACHISANJO Saneyosi)

正親町三条 実義(おおぎまちさんじょう さねよし、寛政10年11月2日 (旧暦)(1798年12月8日) - 文政3年6月4日 (旧暦)(1820年7月13日)は、江戸時代後期の公卿。
主に光格天皇(119代)の代に仕え、官位は従三位権中納言まで昇った。
父は権中納言正親町三条公則。
母は権大納言勧修寺経逸の娘。
室は松本藩主松平光年の娘。
子に正親町三条公厚、正親町三条実愛がいる。

寛政11年(1799年)叙爵され、以降累進して侍従・右近衛少将・左近衛権中将・参議を経て、文政元年(1818年)には従三位となり、公卿に列する。
同年に踏歌節会外弁を務めたが、文政3年(1821年)には23歳の若さで薨去した。

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