毛利元春 (MORI Motoharu)
毛利 元春(もうり もとはる、元亨3年(1323年) - ?)は、南北朝時代 (日本)・室町時代における毛利家の当主で、毛利親衡の嫡男。
子に毛利広房・厚母元房・麻原広内・毛利忠広・長井広世・福原元淵。
初名は高師泰から一字拝領し「師親(もろちか)」と名乗る。
官位は従五位下、備中守、左近将監、権大丞、右馬頭。
経歴
13歳で元服し、曽祖父・毛利時親の代官として足利尊氏に一貫して従った。
祖父の毛利貞親、父の毛利親衡は後醍醐天皇の南朝 (日本)に従って越後国南条荘にて活躍し、一家で対立することとなる。
後見役の曽祖父時親はそうした争乱の最中の1341年(暦応4年)に没し、安芸国吉田荘の支配は元春が引き継ぐことになった。
元春は19歳で家督を相続し「郡山殿」と呼ばれるようになった。
一族を敵に回して勝ち残った元春は、九州探題今川貞世にしたがって、鎮西へ下向し戦いを繰り広げることとなる。
一方、敵対関係となった父・親衡は、九州の南朝方勢力、周防の大内弘世などと結んで、九州出陣中の元春の領地へ侵攻した。
1385年に嫡子広房が安芸西条にて戦死するに及び、その子毛利光房に跡を継がせ、その成長まで後見することとなる。
元春の代あたりから庶子家が派生し、坂氏・有富氏・麻原氏・中馬氏・福原氏などが生まれている。
また坂氏からさらに桂氏・光永氏・志道氏などの庶流家が生まれ、戦国大名としての毛利氏を支える一族家臣となっていくのである。