水主皇女 (Minushi no Himemiko)

水主皇女(みぬしのひめみこ、生年不詳 - 天平9年8月20日 (旧暦)(737年9月22日))は、天智天皇の皇女。
母は栗隈首徳万の娘、黒媛娘。
名前はもいとりともいう。

天智天皇の皇子女では、最後まで生き残った。

しかし、他の皇女とは違い、彼女に関する詳細な記録はほとんど無く、どのような人生を送ったかは不明な点が多い。
晩年元正天皇に仕えていたらしい。
病気で宮中に出仕できずにいた水主皇女を慰める為、雪を詠った歌を作る様、元正天皇が命じた。
石川内命婦が奉上した歌が「万葉集」巻20-4439に残されている。

熱心な仏教信者だったようで、天平6年(734年)大和国広瀬郡の水陸田を購入し弘福寺に施入している。
彼女が作成した「水主宮経」は写経の為に各所に貸し出され、目録も作られたほどである。
天平9年(737年)2月14日三品に昇進し、その年の8月20日に薨去した。

水主皇女に関する歌
万葉集に以下の歌が残されている。

冬の日、靱負(ゆけひ)の御井(みゐ)に幸いでましし時、内命婦(うちのひめとね)石川朝臣 諱曰邑婆 詔を応(うけたま)はりて雪を賦(よ)める歌一首
松が枝の地につくまで降る雪を 見ずてや妹が籠もりをるらむ 巻20-4439
その時、水主内親王、寝膳安からず。
累日参りたまはず。
因此の日太上天皇、侍嬬等に勅りたまはく、水主内親王の為に、雪を賦みて奉献れとのりたまへり。
是に諸の命婦等、作歌し堪ねたれば、此の石川命婦、独り此の歌を作みて奏せりき。

[English Translation]