池田定保 (IKEDA Sadayasu)
池田 定保(いけだ さだやす)は、因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の第7代藩主。
文化2年(1805年)7月29日、第5代藩主・池田定常の六男として鳥取で生まれる。
文化4年(1807年)11月3日に異母兄で第6代藩主の池田定興が死去したことにより、その養子となり、文化5年(1808年)2月4日に家督を継いで第7代藩主となる。
江戸城御門番を歴任し、文化11年(1814年)に二条城の大番頭に任じられた。
文政5年(1822年)12月26日、従五位下・長門守に叙位・任官する。
天保3年(1832年)に大坂城定番に任じられた。
弘化4年(1847年)7月17日、江戸で死去した。
享年43。
後を養子の池田清直が継いだ。