池田小三郎 (IKEDA Kosaburo)

池田 小三郎(いけだ こさぶろう、天保十三年(1842年)‐慶応四年(1868年)初め)は、新選組隊士。
全盛期には撃剣師範を務め、後に伍長に就いている。

江戸の出身といい、一刀流剣術の遣い手。
小太郎と記された文献もある。

新選組

元治元年(1864年)10月の江戸における隊士募集に応じて入隊。
同年12月の行軍録では、尾形俊太郎の五番組に所属している。
翌慶応元年(1865年)夏の編成で撃剣師範となっている。

慶応2年(1866年)9月の三条制札事件に参戦。
大石鍬次郎の隊に所属していたと考えられ、褒賞金として千疋を賜っている。
同3年(1867年)6月の幕臣取立では、見廻組御雇の格を受けた。

その後も在隊し、翌4年(1868年)に勃発した戊辰戦争に身を投じ、戦死した。
享年26。

三度の戦死

池田の最期には諸説ある。
慶応四年一月三日に勃発した鳥羽伏見の戦いに参戦。
五日に淀で戦死したと伝えられるものの、御香宮神社の東軍戦死者名簿には「正月(一月)三日、伏見に於て戦死」とある。
しかし、横倉甚五郎は、存命して江戸に帰還した後、同年三月六日の甲州勝沼の戦いに参戦、手負いの後、甲州板戸で死亡したとしている。
戦死したのは間違いないが、最期の場所は判っていない。

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