洞院実熙 (TOIN Sanehiro)
洞院 実熙(とういん さねひろ、応永16年(1409年) - 没年不詳)は、室町時代の公卿。
後花園天皇(102代)・後土御門天皇(103代)の二帝に仕え、官位は従一位左大臣に昇った。
初名は実博(さねひろ)。
東山入道左府と称された。
父は内大臣洞院満季。
子に権大納言洞院公数がいる。
左近衛中将・伊予権守を経て、応永31年(1424年)に従三位に叙せられ、公卿に列する。
正長元年(1428年)に権中納言となるも翌年に勅勘にふれて一度解官される。
永享2年(1430年)に赦免されて再出仕し、改めて権中納言に任じられた。
永享4年(1432年)には権大納言へ昇進。
内教坊別当を経て、嘉吉2年(1442年)には右近衛大将・右馬寮御監に任じられる。
文安3年(1446年)に内大臣拝命、さらに翌年には左近衛大将を兼務する。
文安5年(1448年)に左近衛大将のみ辞職。
宝徳2年(1450年)には従一位を授与されたが、この年に内大臣も辞した。
享徳3年(1454年)には右大臣となり、さらに康正元年(1455年)左大臣に任じられた。
しかしながら同年中に辞職。
このあと出家して東山に昇り隠居生活に入った。