津田三蔵 (TSUDA Sanzo)
津田三蔵(つだ さんぞう、安政元年12月29日 (旧暦)(1855年2月15日) - 明治24年(1891年)9月29日)は、滋賀県の巡査、陸軍軍曹。
当時のロシア帝国皇太子ニコライ(後のニコライ2世)を暗殺しようとした大津事件の犯人。
略歴
武蔵国豊島郡 (武蔵国)下谷に伊賀国上野の津藩士の子として生まれた。
後に三重県伊賀上野に移住。
明治10年(1877年)から西南戦争に従軍、少なからぬ功績が認められ勲等が授与された。
津田は明治24年(1891年)5月11日、来日中のロシア皇太子ニコライを殺傷しようとした。
これが大津事件である。
事件後津田は、巡査を免職されると同時に先述の勲章も剥奪された。
「西郷隆盛は実は生きており、ロシアに保護されていて、ロシア皇太子訪日と同時に日本に帰ってくる」という噂を真に受け、西郷が生存しているなら津田自身の西南戦争での武勲も取り消されるのではないかと恐れて凶行に及んだとされるが、動機を裏付ける供述は得られておらず諸説が多い。
精神病歴があった。
結果的に無期徒刑の判決を受け、北海道標茶町にあった釧路集治監に移送、収監されるが、同年9月29日に獄中で病死した。
死因は急性肺炎で、旭川刑務所に標茶分監医務所長の詳細な日記が残されている。
死因に不審な点があることから政府による謀殺説がある。