津田算正 (TSUDA Kazumasa)

津田 算正(つだ かずまさ、生年不詳 - 1585年4月22日(天正13年3月23日 (旧暦)))は、安土桃山時代の武将。
津田算長の長子。
弟に砲術自由斎流の開祖となった杉ノ坊照算(津田妙算の養子)がいる。
根来寺西口の旗頭。
太郎左衛門・監物を称する。

略歴

1568年(永禄11年)、父算長の死を受けて家督を継ぎ、後に監物を称する。

1577年(天正5年)、織田信長に仕えて和泉国佐野城主として雑賀衆の備えを任される。

1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いに徳川方として参戦し、豊臣方の背後を脅かす。

1585年(天正13年)3月23日、豊臣秀吉の紀州征伐に対して抗戦するも根来寺が陥落し、その逃走中に討死した。

[English Translation]