清水谷実業 (SHIMIZUDANI Sanenari)
清水谷 実業(しみずだに さねなり、慶安元年(1648年) - 宝永6年9月10日 (旧暦)(1709年10月12日))は、江戸時代前期から中期にかけての西園寺家一門の公家・歌人。
堀親昌の子で、母は三条西実条の娘。
母方の叔父三条西公勝の養子として育つ。
25歳の時公勝の実子で清水谷家を継いだ清水谷公栄の養嗣子となる。
官位は正二位権大納言。
子に清水谷雅季(1684―1747年)、小倉有季らがいる。
1688年(元禄元年)霊元天皇から和歌てにをは口伝をうけ、中院通茂・武者小路実陰とともに霊元院歌壇の中心的な歌人の一人として活躍した。
作品・著書には1702年(元禄15年)の百首歌、1705年(宝永2年)の到着百首歌、1672年(寛文12年)の「高雄紀行」などがある。