渡辺綱 (TSUNA WATANABE no)
渡辺 綱(わたなべ・の・つな、天暦7年(953年) - 万寿2年2月15日(1025年3月17日))は平安時代中期の武将。
嵯峨源氏の源融の子孫で、通称は渡辺源次、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。
頼光四天王の筆頭。
概説
武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏の源宛の子。
摂津源氏の源満仲の娘婿である源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区 (大阪市))に居住し、渡辺綱(わたなべ の つな)、あるいは渡辺源次綱(わたなべ の げんじ つな)、源次綱(げんじ つな)と称し、渡辺氏の祖となる。
摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られた。
大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻り橋の上で羅城門の鬼の腕を源氏の名刀「髭切」で切り落とした逸話で有名。
その子孫は渡辺氏と呼ばれ、内裏警護に従事する滝口武者として、また摂津国の武士団として住吉区(住之江)の海(大阪湾)を本拠地として瀬戸内海の水軍を統轄し、源平の争乱から南北朝にかけて活躍した。
九州の水軍松浦党の祖の松浦久もまた渡辺氏の出である。
先祖の源融は『源氏物語』の主人公の光源氏の実在モデルとされたが、綱も美男子として有名。
兵庫県川西市西畦野の小童寺の境内に綱の霊廟がある。